YA-MANとの試合で負けた時、心臓がバクバクしました。
いわゆる衝撃というかショックというか、マイク・タイソンがジェームス・ダグラスに負けた時以来の゙感じ。
大ファンというわけではないけど、倒れないという幻想、負けたら全てを失い兼ねないという緊張感。
れっきとしたスポーツなので、負けることもあれば勝つこともあるのが普通なんだけど、負けが許されない、負けても次があるという感じがしないんだよね。
相撲の世界って、大関とか関脇とか、そのあたりというのは、負け越したら番付が落ちるとか勝ち越せばまた上がるとかそんな感じだけど、一旦横綱になると、番付が落ちるということはなくて、負け越したら引退するしかないんだよね。記憶が正しければ。
それくらい絶対的な存在で、負けが許されなくて、それを本人が一番わかっていて、朝倉未来は色々とビジネスもやっていて、本人はもしかしたら普通に経営が上手いとか思ってるかもしれないけど、それって朝倉未来が特別という幻想があるから成り立っているものがほとんどだと思っていて、それが特別じゃなくなる、つまり、勝ったり負けたりする普通のアスリートになってしまうと一気に求心力というかブランド力というか関心というかそういうものが落ちてしまうという心配をもちながら試合を観てるから、いつもハラハラドキドキなんだよね。
朝倉未来自身もアスリートとしての特別感を失うというプレッシャーと闘っていると思うんだけど、そういうのとも闘わなきゃいけないのが横綱なんだよね。
それと、ヤンキーがどんどんビックになっていって、でも身近にいるヤンキー感がバリバリ残っていて、「ビックになってるぜ感」を隠さなくて、世界的に成功して運転手付きのロールスロイスでニューヨークに向かいながら「ハイボールが一番うめえ」とか言ってそうな、金持ちになって金持ちをディスってヤンキーが一番みたいな、そういうエリート層を打ち負かしそうなところが一般庶民にうけてるんじゃないかなと勝手に思ってます。
ビートたけしもそうなんだけど、何者でもないやんちゃな頃に戻りたいというか、幸せはそこにあったというか、目指しているものと、実際に手に入れているものと、本当に幸せだったと思える瞬間を回顧する姿に、スターの悲哀というか、人間味というか、親近感というか、そういうものが感じられるのがいいんだよね。
それと、まわりの友達が「てめえふざけんなよ」みたいな感じで言うところがまたよくて、負けたらおしまいと思われるほど強い幻想がある人に対して友達がそういう感じで接するところが、ビックになっても強くなっても地元的なものを維持し続けている感じがいい。
そんなことで、ロールスロイスからカローラへの転落みたいなことがよぎっちゃうから見てるほうはドキドキする。
そういうのを30歳そこそこで背負ってるのはシンプルにあっぱれだと思う。